
南沖公園に足を踏み入れたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは、あの滑り台だった。千葉県の加入電話150万台を記念して作られた、プッシュホンの形をした巨大な遊具。
子どもの頃は、ただただ「でかい」と思っていたそれは、今もなお堂々とそこにあった。ただし、よく見れば、ところどころに錆びや色あせが浮かび、五十年近い歳月を確かにまとっていた。

「まだあるんだね、これ」
隣で歩く美佐子が、少し笑いながら言った。
「ああ。なくなってると思ってた」
和也はそう答えながら、視線を滑り台から外せなかった。
今日は銀婚式だった。二十五年。気がつけば、子どもたちは巣立ち、家にはふたりきりの時間が戻ってきていた。だからなのか、どちらからともなく、「あの公園に行ってみようか」という話になった。
同級生だったふたりは、昭和五十年代、この南沖公園で何度も顔を合わせていた。放課後、休日、理由なんてなかった。ただそこに来れば、誰かがいて、時間がゆっくり流れていた。
「覚えてる?ここで、よく鬼ごっこしてたよね」
「逃げるの、うまかったよな、お前」
「うまかったんじゃなくて、あんたが遅かったの」
軽口のやりとりに、自然と笑いがこぼれる。昔と同じテンポだった。
ふたりは滑り台の前まで歩いた。近くで見ると、やはり大きい。子どもの頃は圧倒されて見上げていたが、今は少し違う。高さは変わらないのに、自分たちのほうが変わったのだと、和也は思った。
「こんなに古かったっけ」
「そりゃ、私たちが年取ったんだもん」
美佐子はそう言って、滑り台の側面をそっと撫でた。塗装のざらつきが指先に残る。
「でもさ、まだ使えるんだね」
「そうだな」
和也は頷いた。その一言の中に、いろんな意味が混じっている気がした。

ふたりは階段をゆっくりと上がった。昔は駆け上がっていたはずの段差が、今はやけに一段一段重たい。
「こんなに長かったっけ、この階段」
「途中で息切れしてたら笑うよ」
「もうしてる」
和也の言葉に、美佐子が声を上げて笑った。その笑い方も、あの頃と変わらなかった。
上まで登りきると、公園が見渡せた。団地の屋根、木々の緑、遠くの空。景色は少し変わっているはずなのに、どこか同じ匂いがした。
「ねえ」
美佐子が、少しだけ真面目な声で言った。
「うん?」
「よく続いたね、私たち」
和也はすぐには答えなかった。代わりに、目の前の滑り台を見つめた。
「途中で何回も、落ちそうになったけどな」
「そうだね」
「でも、また登り直して」
「うん」
「気がついたら、ここまで来てた」
美佐子は何も言わずに、隣に立った。ふたりの間に、静かな時間が流れる。
下では、小さな子どもたちが遊んでいた。笑いながら、何度も滑り落ちては、また登ってくる。その姿が、やけに眩しく見えた。
「滑る?」
和也が言った。
「今さら?」
「今だからだろ」
少しの間をおいて、美佐子がくすっと笑った。
「じゃあ、一回だけね」
ふたりは並んで座った。昔はひとりずつだったのに、今は隣にいるのが当たり前になっている。
「せーの」
声を揃えて、ふたりは滑り出した。
風が顔に当たる。ほんの数秒のことなのに、やけに長く感じた。子どもの頃の自分たちと、今の自分たちが、同じ滑り台の上で重なっていくような、不思議な感覚だった。
下に着いたとき、ふたりは顔を見合わせて笑った。
「まだいけるね」
「何が?」
「いろいろ」
和也はそう言って、少し照れくさそうに視線を逸らした。
美佐子はその横顔を見ながら、ゆっくりと手を差し出した。
和也は何も言わず、その手を握った。
昔よりも少しだけ硬くなった手。それでも、温もりは変わらなかった。

南沖公園のプッシュホン形滑り台は、今日も変わらずそこにある。
番号を押せば、どこかに繋がるように。
あの頃の自分たちと、今の自分たちを、静かに結び続けている。