西平山第二公園は、住宅地の只中にひっそりとありながら、なぜか胸を張ってこちらを待っている。足を踏み入れるとまず目に入るのは、選び放題という言葉がふさわしいブランコの一群である。王道のブランコもあれば、静かに揺れを独占できるお一人様用もあり、その日の気分が試される。
滑り台はさりげなく配置され、色とりどりの遊具が公園全体を軽やかに彩る。子どもの歓声も、大人の逡巡も、すべて受け止める余白がここにはある。通り過ぎるつもりが、気づけば腰を据え、揺れに身を任せている。そんな油断を許す公園である。
公園案内版この公園の地を含む付近一帯の土地は、昭和四〇年代はじめの頃までは、浅川対岸の長沼村(旧由井村大字西長沼、現八王子市西長沼町)や下大和田村(旧七生村大字平山下大和田)の人々が耕作してきた、地味豊かな畑であった。古い時代(中世末にさかのぼると考えられる)の開墾に係り、戦国時代の末期には滝山城や八王子城に拠った小田原北条氏照が支配。徳川時代の初期には、幕府の直轄領(天領)、同中ごろから旗本領(知行所)と変って幕末に至った。
明治時代養蚕業が盛んになるにつれ、大方の畑は桑園に姿を変えたが、昭和一〇年代養蚕は衰え、太平洋戦争中は食糧増産のため再び麦類、著類、野菜類等を栽培する作畑に戻されていたところである。



