本所松坂町公園
アップデート:2025/08/10
本所松坂町公園は、ただの公園ではない。そこは「忠臣蔵」の舞台のひとつ、赤穂義士が雪の夜に討ち入りを果たした吉良上野介義央の上屋敷跡である。
江戸の町の灯が消えた深更、白刃が閃き、息をのむ緊張が走ったであろうその地は、時を経て静かな緑の広場となった。地元の町会有志が、邸内に残る「吉良の首洗いの井戸」を守るために土地を買い取り、東京都へ寄付したという経緯も、どこか義士たちの心意気に通じる。
園の広さは当時の吉良邸のわずか八十六分の一。しかし周囲を囲む石壁は、江戸時代の高家の威厳を示す海鼠壁長屋門を模し、園内にはかつての井戸や稲神社が佇む。訪れる者は、落ち葉の上を踏みしめながら、かつての雪の感触と刃の冷たさを想像する。過去と現在がゆるやかに溶け合い、歴史が微かに呼吸する場所である。
本所松坂町公園由来
この公園は「忠臣蔵」で広く知られる、赤穂義士の討入があった。吉良上野介義央の上屋敷跡です。
その昔、吉良邸は松坂町一、二丁目(現、両国二、三丁目)のうち約八、四〇〇平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が建ちならび、いまではそのおもかげもありません。
昭和九年三月地元町会の有志が、遺跡を後世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史跡公園として、東京市に寄付したもので、昭和二十五年九月墨田区に移管されました。
周囲の石壁は、江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁長屋門を模した造りで、園内には、元吉良邸にあった著名な井戸や稲神社などの遺跡があり当時をしのばせております。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されております。(公園案内版)