鍋島松濤公園
アップデート:2024/06/12
渋谷の喧騒から一歩離れ、
松濤の高級な風景の中に佇む、
鍋島松濤公園。
元屋敷の庭園だったこの地には、
優雅な空気が漂い続ける。
大きな池を中心に広がる静寂、
その周りにはカラフルな複合遊具、
ブランコ、鉄棒、子供たちの笑顔が弾ける。
原色の遊具と元屋敷の池、
異なる美が共存する場所。
遊びの賑わいと静けさの調和、
過去と現代が優雅に交錯する。
品格を隠せない優雅なスペース、
ここでは、全てが自然に共鳴する。
鍋島松濤公園、その名が示す通り、
歴史と遊びが融合する特別な場所。
心を静める池のさざ波と、
子供たちの歓声が響き合う。
渋谷の一角に、
この公園が創り出す異次元の空間、
それは訪れる全ての人に、
忘れられない時間を提供する。
鍋島家は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け、明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出しました。茶園が廃止されてからは、湧水地を中心とする一画が児童遊園として公開され、昭和7年に東京市に寄贈された後、渋谷区に移管されました。 現在では、遊具や池の周りにベンチが配置され、桜が咲く時期には多くの人が花見に訪れます。(渋谷区HP)
鍋島松濤公園の付近一帯は、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷でした。明治時代になって、その跡地を購入した鍋島家が、士族授産のために開いた茶園につけた名称が松濤園でした。松濤とは茶の湯のたぎる音から出た名で、この銘のお茶を生産していました。それがもとになって、昭和三年(一九二八)にこのあたりの松濤という町名が生まれました。 松濤園のなかにあった、池を中心とするこの一画が現在の松濤公園です。大正十三年(一九二四)に鍋島家が児童遊園地として施設をつくって公開した松濤遊園地が、昭和七年(一九三二)十月に東京市に寄付され、昭和九年から渋谷区の管理に移り、戦後に区立の公園となりました。 かつて渋谷区内には、数多くの自然遊水地がありましたが、開発などにより著しく減少してしまいました。 松濤公園の池は、数少ない遊水地として貴重であると同時に、池の周辺には昔ながらの面影が残されています。(公園の案内版から)
ブランコや鉄棒も楽しめます。
鍋島松濤公園は、渋谷の松濤に位置する優雅な庭園公園です。かつての屋敷の風情を残しながら、大きな池を中心に美しい景観が広がっています。高級感あふれるエリアにありながら、遊具エリアも充実。
カラフルな複合遊具がエースを務め、ブランコや鉄棒なども揃っています。原色の遊具と元屋敷の池が調和し、互いを引き立て合う空間で、訪れる人々にリラックスした時間を提供します。品格と遊び心が共存するこの公園で、特別なひとときをお楽しみください。