鎌田二丁目南公園
世田谷区鎌田2-19-1

玉電終点駅跡の公園

昔、ここは駅だった。
二子玉川から出ていた玉電の終点
砧本村駅の跡地の鎌田二丁目南公園
公園の入口からも雰囲気は感じられ
歴史を語ることをやめない。
当時の写真を見ると周りには何も無く
わかもと製薬の工場へ行くための駅だが、
今では公園の敷地ぎりぎりまで住宅が迫ってくる。
支線の終点駅の空気を充満させる
のんびりした雰囲気、
それを打ち消すかのごとく
原色で攻める遊具たちが並ぶ。
  • 昔は駅だった
    鎌田二丁目南公園
  • 目玉遊具
    鎌田二丁目南公園
  • トイレ
    鎌田二丁目南公園

昔は駅だった鎌田二丁目南公園

昔は駅だった鎌田二丁目南公園

この広がりが昔駅だったんだと感じる

昔は駅だった鎌田二丁目南公園

鎌田二丁目南公園の目玉遊具!

鎌田二丁目南公園の目玉遊具
鎌田二丁目南公園の目玉遊具

遊具たち

鎌田二丁目南公園の遊具たち
鎌田二丁目南公園の遊具たち
鎌田二丁目南公園の遊具たち

昔は電車、今はバス

鎌田二丁目南公園、他にもこんなみどころ

砧本村はバスの終着ターミナル

トイレ

トイレ

鎌田二丁目南公園の概要

鎌田村は隣接する大蔵村の村域内に18箇所飛地状に立地する小村であった。砧村成立時に大字鎌田になり、東京市編入で世田谷区鎌田町となるも、いずれもそのまま飛地状態で存立していた。大蔵町の区域は内部に鎌田町が点在していたほか、岡本町、祖師谷一丁目、喜多見町、宇奈根町の飛地が混在し、これに1912年に神奈川県から編入した久地町、諏訪町(いずれも多摩川の河川敷)が含まれていた。市郡合併で旧大字をそのまま町に置き換えたために生じた飛地存続による弊害を1955年に解消することとなり、大蔵町を三分割して北部に砧町、南部に(新)鎌田町を設置して、(旧)鎌田町および当該各町の飛地を新設三町に振り分けた。その後1971年に実施した住居表示で再度区割りに変更が生じて現在の町域が確定した。(鎌田 (世田谷区) - Wikipedia)

終点の砧本村は、開設時は東京府北多摩郡砧村にあり、停留所が設けられた付近が砧村の字本村であったことから、砧本村の名が付けられたものである。駅前には切符委託販売も兼ねた売店があり、行商が商う姿もみられた。戦前、砧本村停留所前にわかもと製薬の工場があり、砧線はその通勤の足としても用いられた。わかもと製薬跡地は現在、駒澤大学玉川校舎となっている。(東急玉川線 - Wikipedia)

鎌田二丁目南公園が出来た頃の出来事

3月02日 惑星探査機パイオニア10号打ち上げ。
3月03日 ニトリ設立。
3月12日 東武東上線成増駅前にモスバーガーの第一号実験店舗が開店。
3月15日 山陽新幹線・新大阪駅-岡山駅間開業。大ダイヤ改正をこれに伴い実施。岡山駅から山陰・四国方面の特急が増発される。
3月24日 北アイルランド問題: イギリス政府が北アイルランドの直轄統治を宣言。
3月26日 奈良県高市郡明日香村で高松塚古墳が発掘。
3月31日 横浜市電と横浜市営トロリーバスが全線同時廃止。
(1972年 - Wikipedia)
update: 2018年4月14日12:54 pm