鍋島松濤公園
渋谷区松濤二丁目10番7号
鍋島松濤公園の付近一帯は、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷でした。明治時代になって、その跡地を購入した鍋島家が、士族授産のために開いた茶園につけた名称が松濤園でした。松濤とは茶の湯のたぎる音から出た名で、この銘のお茶を生産していました。それがもとになって、昭和三年(一九二八)にこのあたりの松濤という町名が生まれました。 松濤園のなかにあった、池を中心とするこの一画が現在の松濤公園です。大正十三年(一九二四)に鍋島家が児童遊園地として施設をつくって公開した松濤遊園地が、昭和七年(一九三二)十月に東京市に寄付され、昭和九年から渋谷区の管理に移り、戦後に区立の公園となりました。 かつて渋谷区内には、数多くの自然遊水地がありましたが、開発などにより著しく減少してしまいました。 松濤公園の池は、数少ない遊水地として貴重であると同時に、池の周辺には昔ながらの面影が残されています。(公園の案内版から)
鍋島家は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け、明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出しました。茶園が廃止されてからは、湧水地を中心とする一画が児童遊園として公開され、昭和7年に東京市に寄贈された後、渋谷区に移管されました。 現在では、遊具や池の周りにベンチが配置され、桜が咲く時期には多くの人が花見に訪れます。(渋谷区HP)