世田谷区公園探訪
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今のところ公園208探訪。
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次大夫堀公園――その名を聞くだけで、古い水の音が心に蘇るようである。かつてこの地に小泉次大夫という人物がいた。江戸の昔、彼は人々の暮らしを潤すために用水を引き、このあたりの大地を豊かにした。公園の名は、その静かな功績を今に伝えている。
訪れる者を最初に包みこむのは、せせらぎの音だ。どこか懐かしく、都会の喧騒から遠く離れた谷あいに迷いこんだような錯覚を起こす。水の流れのそばでは、季節ごとに異なる風が吹き、稲が伸び、実り、黄金色に染まってゆく。水田では子どもたちが泥にまみれ、田植えをし、秋には稲刈りを行う。東京中央農協の協力のもと続けられてきたその営みは、まるで小さな村の一年を閉じ込めたような、時間の箱庭である。
そして園内の奥には複合遊具が待っている。木々に囲まれた空間で、子どもたちの笑い声がこだまする。かつて水を引いた次大夫がもしこの光景を見たなら、きっと微笑んだに違いない。水と人とのつながりが、今もここに息づいている。
静けさと賑わいが同居するこの公園で、季節とともに変わる水の表情を眺めていると、日々の時間が少しだけゆるやかに流れ出す。気づけば、あなたもその水の輪の中に立っているだろう。
次大夫堀公園の名の由来ともなっている「次大夫掘」とは、稲毛・川崎領(現神奈川県川崎市)の代官であった小泉次大夫の指揮により、慶長2年(1597)から15年の歳月をかけて開発された農業用水です。正式には六郷用水です。正式には六郷用水といい、多摩川の水を取り入れ、世田谷領(現狛江市の一部・世田谷区・大田区の一部)・六郷領(現大田区)を流れるものでした(全長23.2km)。
世田谷領内を流れる六郷用水は、江戸時代、沿岸の14ヶ村の水田で利用され、土地の人から次大夫堀と呼ばれていました。囲碁も昭和に至るまで350年余の間、周辺住民の農業・生活用水として欠かせない存在だったのです。
現在、区内の六郷用水(次大夫堀)は、丸子川として一部のみ残っています。この公園ではかつての流路600mを復元しました。
(公園案内版)
パズルトンネル(ハッピーバード)
卵の形の直線で9個のパーツに切りはなしその組合わせによって
いろいろな鳥の形をつくった楽しいパズルの壁画です。
デザイン 福田繁雄 1986年