新宿区内藤町は、都会のただ中にありながら、不意に時間の流れが緩む不思議な場所である。かつてこの地を治めた内藤家の屋敷林の名残が今も土地の呼吸に染み込み、街路には静かな陰影が落ちている。足を踏み入れると、喧騒の膜が一枚すっと剥がれ、どことなく武家屋敷の気風を思わせる落ち着きが漂い始める。
新宿御苑の広大な緑が至近にあるせいか、風はいつも柔らかく、季節ごとの香りをたっぷり含んで流れてくる。外苑西通りの向こうでは車が絶えず行き交っているのに、この町に入ると音が不思議に丸くなり、まるで緑の層に吸い込まれていくようだ。
町を歩くと、道の配置にもどこか古い記憶の痕跡が潜んでいる。曲がりくねった小道に誘われるまま歩けば、不意に陽だまりが広がり、小さな境界石がひっそりと佇み、内藤家の影をほんのりと感じさせる。新旧の建物が肩を寄せ合う光景も、この町では奇妙に調和し、歴史と現在がゆっくり混ざり合っている。
内藤町は、派手さよりも深みを湛えた町である。都会のただ中にひそむ静かな余白が、歩く者の心をそっとほどき、また来たくなる柔らかな魅力で包み込んでくれる。
内藤町・町名の遍歴・由来
町域の大部分を新宿御苑の敷地が占めるが、新宿御苑の東側、外苑西通りに沿った区域は住宅地となっている。また、町域西端には東京都立新宿高等学校が置かれる。新宿御苑の敷地内を新宿区と渋谷区の境界線が通り、御苑敷地の南側部分は渋谷区千駄ヶ谷六丁目に属しているr
町名は、この一帯が江戸時代に高遠藩主・内藤家の中屋敷だったことに由来する。町内には、内藤家の祖先とされる藤原鎌足を祀った多武峯内藤神社も存在する。四谷大木戸跡碑も残る。
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内藤町 - Wikipedia)