新宿区西新宿――空へ向かって伸びる塔の群れが、まるで巨大な森のようにそびえ立つ。しかし、この人工の森は決して無機質なだけではない。ビルの谷間を抜ける風は思いがけず優しく、足もとに伸びる歩道の影には、人々の時間が幾層にも重なって、密やかな温度を宿している。
朝には光がガラス壁を跳ね返し、まばゆい反射が街全体を明るい迷宮へと変貌させる。昼にはビジネスの気配が川のように流れ、夜になれば無数の窓明かりが星座のように瞬き、訪れる者を包み込む。超高層の足もとには思いがけず小さな公園が隠れ、散歩すればコーヒーの香りが漂い、路地には静けさすらある。
巨大でありながら、人のささやかな鼓動を忘れない街。ここでは、都会の喧騒さえどこか物語めいて聞こえてくる。西新宿とは、そんな都市の魔法が濃密に渦巻く場所である。
西新宿・町名の遍歴・由来
西新宿の名の由来は新宿区の新宿地区の西、若しくは新宿駅の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年(昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた[4]。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざ)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年(明治17年)の新宿駅の開業である。
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西新宿 - Wikipedia)