大久保という町は、東京のなかでもひときわ濃密な気配に満ちている。路地に踏み入れた瞬間、空気がわずかに震え、異国の香りが風に紛れて漂いはじめる。看板の光は色とりどりに瞬き、まるで遠い国々の記憶がこの狭い街区に折り重なっているかのようだ。どこからか漂う香辛料の匂いや、店先を満たすざわめきが、旅の入口であることを静かに告げている。
雑踏を抜ければ、古い住宅街の静けさがふっと現れ、その対比が大久保の懐の深さを思わせる。文化と文化が交差し、日常と非日常が重なり合う町は、歩く者の感覚を研ぎ澄まし、知らぬ世界へ連れ出す準備をしているようだ。
夕暮れになると、灯りは一層鮮やかに町を縁どり、まるで地図にない夜の都が立ち上がる。迷い込むことさえ歓迎されているような気がして、足取りは自然と軽くなる。大久保は訪れる者に、世界の境目を歩く楽しさをそっと手渡す、不思議な魅力をたたえた町である。
大久保・町名の遍歴・由来
大正時代から終戦までは戸山界隈とともに華族や実業家の邸宅街として知られ、前田利為侯爵や安藤子爵、室町伯爵、北大路男爵などの、それぞれ400~500坪から1000坪ほどの邸宅が立ち並んでいた。大久保やその近辺には小泉八雲、西條八十、吉江孤雁、国木田独歩、水野葉舟、前田晁、前田夕暮といった文学者が住み、クラブに集まり、投扇興という京都風の風雅な遊びを楽しんでいた。
島崎藤村や下村湖人、岩野泡鳴、戸川秋骨、田岡嶺雲、嵯峨の屋おむろ、竹越三叉、松居松葉、草野柴二、服部嘉香、金子薫園といった文人も住民であり、当時の大久保は「樹木に囲まれた閑静な住宅街で、文筆家や芸術家の集まる土地」で「大久保文士村」とも呼ばれた。
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大久保 (新宿区) - Wikipedia)