新宿区公園探訪

高田馬場

高田馬場という地名には、どこか風が走り抜けるような響きがある。かつてこの一帯が馬の調練場であった面影が、街の奥底にひっそりと潜んでいるのかもしれない。その名残は今やすっかり姿を変え、学生の往来と喧騒に溶け込んで、独特の“青春の匂い”を街路に漂わせている。

駅前に広がる雑多な世界は、まるで巨大な冒険の入口のようだ。古い喫茶店、新しいビル、どこか懐かしい商店の匂いが混ざり合い、歩くだけで胸がそわそわしてくる。早稲田通りを抜ければ、学生たちの生活のリズムが自然と街に刻まれ、夕暮れになるとその足音がゆるやかに一日の余韻を運んでくる。

路地裏に入れば、ひなびた本屋や小さな飲食店がしんと佇み、喧騒の向こうに別の時間が流れていることを教えてくれる。高田馬場は、一つの顔だけでは捉えられない、多重の時間が折り重なった迷宮のような街だ。

一歩ごとに違う匂いと風景に出会い、気がつけば自分もその物語の一行に紛れ込んでしまう。そんな不思議な吸引力が、高田馬場にはある。

高田馬場の場所

高田馬場・町名の遍歴・由来

1636年、徳川三代将軍家光により旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営された。 一説に、この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとする。だが、それ以前に、この一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたため、その名を冠したとの説、その2つの由来が重なったためとの説もある。一説には、高田村の飛び地があったためとも言われている。 (高田馬場 - Wikipedia)

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