新宿区南元町は、都心のただ中にありながら、不意に山あいの静けさを思わせる不思議な町である。外苑東通りの喧噪を背に一歩踏み入れると、急に木々の影が深くなり、空気が澄んでゆく。坂の勾配がやわらかく身体を揺らし、ゆるやかな曲線を帯びた路地が、訪れる者をどこか遠くへ誘う。都市の輪郭からそっと外れたような、胸の奥に沁みる静謐がそこにある。
古い住宅街の並びを抜けると、低い屋根の間から空の青がひらけ、時折、小さな社の鳥居が赤い灯りのように道端に立っている。昼下がりには葉擦れの音がささやき、夕刻には建物の影が長くのびて、町がゆっくりと呼吸をはじめる。歩くほどに景色の解像度が上がり、日常の層がひとつずつほどけてゆく。
やがて、外苑の緑へと続く清冽な風が吹き抜け、視界の奥に淡い広がりが生まれる。わずかな散歩のつもりが、気づけば長い旅へと姿を変えている。静けさに寄り添う町は、誰にも誇示せず、しかし確かな魅力で心をつかむ。
南元町を歩けば、都会の真ん中に隠されていた「余白」の存在に気づく。そんな発見を求めて、また訪れたくなるのである。
南元町の場所
南元町・町名の遍歴・由来
町域内は、主に住宅地として利用されておりマンションなども多く見られる。南元町には、町域の西部を中心として、隣接する信濃町とともに公明党や創価学会関連の施設が多くあり、公明党本部(公明会館)も南元町の千日坂下に所在する。また、千日坂の坂上、信濃町駅近くには葬儀場である千日谷会堂(一行院)がある。
「南元町」は1943年(昭和18年)4月1日、それまでの四谷区南町と同・元町を廃止・統合することによって新たに創設された(この際元町の一部が若葉一丁目の一部となっている)。
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南元町 (新宿区) - Wikipedia)