連光寺は、丘のうねりがそのまま物語の原稿用紙になったような町である。静かな住宅街のあいだを縫うように坂道が続き、歩くたびに景色がゆるやかに揺れ、どこか異国の階段都市を彷彿とさせる。道端の木々は季節ごとに色を変え、風が吹くと枝葉がさざめき、まるで町そのものが旅人を迎える儀式をしているようだ。
連光寺は、歴史の名残が心の奥に沈んでいる場所でもある。古い地名の響きは、ここを歩く者の背筋に小さな余韻を残し、過ぎ去った時代の気配をそっと漂わせる。連光寺坂を上りきると、多摩丘陵の広がりが突然姿を現し、遠くの空へ続く青い地図のように見える。夕方には光が丘陵を斜めに滑り、町が淡い黄金色へと溶けていき、どこへ歩いても胸の奥が少し温かくなる。
迷い込むというより、導かれるように辿り着く場所。連光寺には、日常の隙間にひっそりと息づく美しい時間がある。歩くだけで心がどこか軽くなり、旅の途中にふと寄り道をしたくなる。そんな穏やかな魔力が、この町には満ちている。
連光寺・町名の遍歴・由来
かつて江戸幕府が編纂した新編武蔵風土記稿は、蓮光寺という寺院について次のような説を述べていた。蓮光寺という寺院があった場所は分からないが、村内に下屋舗という小名があり、その辺りに寺坂と称する坂があって、恐らくはその辺りが寺の旧跡なのだろうといわれる。下屋舗という小名は村の東の山丘の処にある。丘の上は平らで、古い墳墓が大小様々50~60基も散在している。戦死者の墳墓だという説もあるが、ここが蓮光寺の跡だという説もある。寺の廃絶時期については、吾妻鏡に蓮光寺が地名として現れているようであるから、鎌倉時代には既に廃寺となっていたと考えられる。以上が新編武蔵風土記稿の説である。
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連光寺 - Wikipedia)