区の東部を南北にとおる旧紀州街道(住吉街道)は16世紀頃から堺の発展とともにひらけたもので、豊臣秀吉が堺政所や住吉大社への道中、この地で茶を楽しんだことから天下茶屋と呼ばれるようになり、大阪市顕彰史跡・天下茶屋跡を今に残しています。
また、江戸時代の西成区は、畑場八カ村と呼ばれた地域に属し、大坂三郷への「そ菜」供給地として発展しました。
現在は、国道26号・43号などの幹線道路、Osaka Metro・JR・私鉄が通る交通至便の地であり、人口密度は極めて高いが、商工業のまち、庶民的なまちとして発展してきたことから、今なお人情豊かな下町の風情が残っています。