鉄棒という言葉には、どこか懐かしい金属の匂いがまとわりついている。公園の片隅で、季節の風を浴びながらひっそりと佇む一本の棒。それは、静かな佇まいに反して、かつて幾多の回転や落下や挑戦を受け止めてきた、頼もしい古参の番人である。陽の光が当たると、鉄の表面が微かにきらりと光り、まるで冒険者を呼び寄せる合図のようでもある。
鉄棒に近づくと、掌に触れる冷たさがまず心を引き締める。くるりと一回転しようとするたび、世界が逆さまにふわりと浮かび上がり、普段見慣れた風景が異国の街並みに変貌する。小さな身体の記憶が、大胆な動きをひょいと生み出す。同時に、大人になった今でも胸の奥に潜んでいた無邪気な衝動が呼び覚まされ、心のどこかが小さく跳ねる。
そして、鉄棒の真の面白さは、技ができるかどうかだけではない。両手でしっかり棒を握り、足を前に伸ばしながらゆらゆらと揺れているだけでも、風の流れや遠くで響く子どもの笑い声が、妙に心に沁みわたる。日常の重さをそっと分離し、身体と心を軽やかに整える、不思議な時間が流れていく。
公園の緑や空の青さを背に、鉄棒は今日も変わらぬ姿で待っている。誰かが挑むのを急かすでもなく、できないことを責めるでもなく、ただそこにある。その静けさが、かえって強い吸引力となって、また訪れたくなる。鉄棒にぶら下がりながら、ゆらりと世界を揺らすひととき。そこには、子どもにも大人にも開かれた、小さな自由が確かに息づいている。
鉄棒
全身の平衡感覚・逆さ感覚や遠心力・速度に対応した全身のバランスを養い、懸垂力や各器官の連動を図ることが可能である。幼児期は鉄棒の上で脱力する通称「ふとん」や、鉄棒の上で全身を伸ばして静止する通称「つばめ」、手足で鉄棒にしがみついてぶら下がる通称「豚の丸焼き」などの簡単な遊びから導入していき、小学生から回転運動に慣れていく。全身運動の統合が可能になった小学校中学年あたりの習得が著しいが、体の成長に体力が追いつかない高学年で伸び悩み、体力増進が著しい中学生あたりから再び成長していく傾向にあるといわれる。(鉄棒 (遊び) – Wikipedia)
鉄棒はいくら?