関戸を歩くと、まず京王線の走る気配が町にほどよいリズムを与えていることに気づく。列車が通り過ぎるたび、風が一度だけ揺れ、関戸という地名の奥に潜む静かな鼓動が立ち上がる。駅前には商店が並び、暮らしの温度をそのまま外へこぼしている。歩く者はそのぬくもりに自然と包まれ、町の輪郭がやわらかく見えてくる。
少し進めば、旧道の名残を感じさせる道がゆったりと曲がり、古くからの家並みと新しい建物が不思議な調和をつくっている。道端の木々は四季の色をまとい、春には淡い花が風に揺れ、秋には落ち葉が音もなく敷き詰められる。その中を歩くと、時間がゆっくりと層をなして積み重なっているようで、町が静かに語りかけてくる。
少し高台へ向かえば、多摩川の気配が遠くからでも感じられ、空気が急に広がる。夕暮れ時、川に寄り添う風が町へ届くと、関戸全体が柔らかな陰影をまとい、どこか旅先のような風情を帯びる。暮らしと風景がまろやかに溶け合うこの町は、歩くたびに胸の内へ静かに灯りを点す。そんな、気づけばまた戻りたくなる場所が関戸なのだ。
関戸・町名の遍歴・由来
武蔵府中に近く、関所と鎌倉街道があったため鎌倉時代以降宿場町として栄えていた。霞ノ関を、鎌倉幕府が和田合戦を契機に、北条一族が多摩川を盾に、北関東からの防衛上の要衝として関所を設置した。また1333年5月16日に起きた関戸の戦いの後、新田義貞軍の監視のために関戸城が築城されている。室町時代には鶴岡八幡宮領であったが、後に後北条氏の直轄領となって松田盛秀(左馬助)が代官に任じられた。関戸宿の有力者であった有山氏が商人・道者の問屋に任ぜられるとともに関銭徴収を任されたが、後に松田氏の代官と対立し1586年に他の有力百姓5名とともに代官の追放と代わりに550貫余りの年貢請負で合意している。なお、1564年に後北条氏から2年間の期限付きで関戸宿の伝馬役が減免された際の文書には関戸にて毎月3・9のつく日に六斎市が開かれて濁酒役と塩合物役が免除されていたことが知られている。
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関戸 (多摩市) - Wikipedia)