連光寺公園は、一歩足を踏み入れてみれば、それがまるごとひとつの山を抱えてしまったような公園だとすぐにわかる。舗装された道の端ではなく、土や草の匂いそのままに、木々が生い茂る小道が公園全体を縦横に走っている。
遊具のある広場ももちろんあるが、それはこの公園のほんの入口部分の出来事でしかない。
子どもたちの歓声が聞こえるのは、きっとターザンロープのあたりだ。終点のその先がいきなり崖になっているという設定は、街中の遊具にはないスリルがある。足をすくませるような斜面に向かって勢いよくロープで滑り降りる時の胸の音は、大人になってから思い返してもきっと消えないだろう。
だが、この公園が本当に強く主張しているのは、ターザンロープでも、カラフルな複合遊具でもない。
ここには、遊具の何倍も広い「自然の余白」がある。遊び場を囲むように、ほとんど手つかずの緑が深く続いている。山の斜面をそのまま活かした散歩道を歩いていると、木漏れ日と鳥の声が交互に道案内をしてくれる。都市のなかで、山の懐にきちんと抱かれている場所があること。
そのただ中に立つと、守られている気分になるのは、きっと私だけではないのだろう。
連光寺公園は遊具の公園ではなく、山がそのまま街に差し出した贈り物だ。舗装や人工物に守られすぎた私たちを、そっと自然のリズムに呼び戻してくれる場所である。










